第八章 日本社会主義経済の元凶である退職金と年金制度

(1) 日本の年金制度は資本主義では成立しない

 退職金(企業年金)には二つの意味合いがあります。一つは、終身雇用を支える「功労・慰労金」であり、もう一つは「賃金の後払い」です。

 後者の「賃金の後払い」は、高度成長期に、物価に合わせて賃金を上げずに、その資金を公共投資に回すために作られた制度であり、利息を上乗せして退職時に支払うことで年金としての意味を持たせるために作られました。

 これを国は制度として、功労・慰労金の意味合いの退職金を「中小企業退職金共済制度(1959年)」、「税制適格退職年金(1962年)」で、賃金の後払いの意味合いである退職金を「厚生年金基金(1966年)」「確定給付企業年金(2002年)」で法規制しています。法律上では、功労・慰労金の退職金と、賃金の後払いの年金は明確に区分けされているのです。

 現在の日本では退職金は賃金の後払いとして扱われ、本来賃金の後払い制度であった年金は社会保障枠の中の年金として扱われています。

基本的に社会保障というのは公平な給付が原則であり、収入の格差が給付に反映される年金制度はこの原則に反しています。リタイア後の経済格差は、現役時代の収入格差で求めるべきであり、それが「財」というものです。「財」を求めるのは資本主義社会では当然であり、その格差を認めるからこそ経済に活力が生まれます。

 しかし日本では、賃金の後払い制度では説明できない年収の何倍もの退職金と、すでに財源が破綻している自己責任型の年金制度は、公務員と一部の大企業の労働者だけの既得権益となっています。

 高度成長時代には退職金と年金は、日本人の高水準な貯蓄を形成し、それは財政投融資という形で、公需への投資を支える原資となっていました。

しかし、バブル以降のデフレ経済の中ではこのシステムは機能しません。退職金や年金の財源が崩壊しているにもかかわらず、国内の消費を支えるために国債を発行して、国はこの退職金と年金制度を保護してきました。結果はいうまでもありません。

本来、資本主義経済で退職金のような賃金の後払いの制度はありません。なぜなら、インフレとデフレは交互に起きるからです。また、物価に合わせて賃金を上げずに、資金を投資に回しその運用益を見込んだ返済金を年金とする手法は、デフレ経済では成立せず持続可能な年金制度であるはずがないのです。

 持続可能な年金制度とするには、賃金の後払いとしての退職金や年金を否定し、財の形成は経済格差によって持たされることを理解し、その上で、社会保障制度の枠の中で退職金や年金を考えなければなりません。

(2) 所得保証の年金は既得権益

 現在の日本の年金制度は、生活保障給付の基礎年金と、所得保証給付である厚生年金や共済年金などの、二階建てとなっています。

 基礎年金は、世代間扶養を基本とするもので、事実上税金などを割り当てて負担させる賦課方式です。これに対して、所得保証としての年金は積立方式です。戦後の源泉徴収制度は、雇用者優遇の年金制度を作り上げ、所得保証給付としての年金を充実させてきました。

 しかし、本来、生存権を保障する生活保障制度としての年金を充実させるべきでした。何故、リタイアした後も、現役世代の経済格差を求めるのでしょうか。本来、リタイア後の経済格差は「財」で求めるべきであり、現役世代の経済格差を年金に求めるのは既得権益でしかありません。

 所得保証としての金融商品を否定はしませんが、国が個人の「財」の形成に関与するべきではありません。厚生年金や共済年金などは、国の制度としてあるべきではなく、まして、税金で補填する事などあってはならないのです。

(3) 退職金=年金

 また、退職金というのは、本来、年金制度を補完する制度であり、現在、民間企業では、正社員を派遣社員に切り替えたり、退職金制度を廃止したりする方向にありますが、年金問題で、この退職金が議論に入らないのは実におかしなことです。

 だいたい、今の年金の議論は、積立金を世代ごとに区切り、負担と給付を決めるトンチン年金制度と、世代間を問わずに運用する世代間扶養システム制度の違いが争点であるのに、議論している者が、トンチン年金と世代間扶養システムの年金の違いがわからないという状況にあるのです。

 まず、生活保障としての年金を賦課方式(税金で運用する)とし、所得保証としての年金は、国が関与するべきではなく民間の金融機関に任せるべきです。そして退職金=年金とするべきでしょう。

(4) 負担する勤労者の分母を引き上げるべき

 年金システムは、世代間扶養システムとして、社会保障の概念から租税方式であることを明確にするべきでしょう。そして、財政的な問題に対しては、負担する勤労者の分母を引き上げればいいのであり、70歳定年制を主張します。

 現在の年金制度は、65歳定年を基本に労働市場を考えていて、その分類は、15歳以下、64歳以下、65歳以上という分類になっています。しかし、フリーターなどの労働市場を考えると、現役の世代の年齢はもう少し引き上げるべきではないでしょうか。そして、年金の負担を考えれば、70歳定年制とするべきではないでしょうか。
 下記の表は、年齢別の人口構成の割合です。

 このように、働く現役世代を20歳から69歳までとすると、だいたい労働人口は62%で推移していきます。また、年金受給者の割合は、65歳定年の場合は10年後の割合で推移していきます。このように労働人口の推移をフラットにすることが重要ではないでしょうか。

 現在の現役世代の総数は約7500万人。70歳定年制となると、現役世代の人口は、8500万人を頂点に下降していき、現在の水準になるのは、2020年です。

 問題は、どうやって高齢者の雇用を確保するかということですが、これは、公務員を中心としたワークシェアリングで確保できると思います。

(5) 定年延長による雇用はワークシェアリングで

 政府も企業も、定年延長は企業の活力を削ぐとして消極的ですが、トヨタ自動車のように、サービス残業という労働強化をリストラとするから、高齢者の生産性が低いとされるのであり、きちんとした労働環境のルールの中で、生産性を競わせれば、むしろ、若年労働者の方が、生産性が高いという常識は否定されるはずです。

 次に、定年を延長することで労働力を確保しても、それを受け入れる労働市場がなければなりません。私は、この問題に対する答えは、ワークシェアリングであると思います。

ワークシェアリングは、支払い賃金総額を変えずに、労働時間を分配するというのが原則であり、一人当たりの賃金は当然下がります。従って、この対象となるのは、賃金の高い業種をターゲットとするのが当然でしょう。

 この原則に従えば、その対象は公務員となります。生産性よりも能率を求める公需の経済では、高齢者を中心とするワークシェアリングが可能であり、財政が破綻しているにもかかわらず、民間企業よりも高い公務員の賃金は、再配分の余力があるのです。公務員の支払い賃金を総労働時間で割り、労働時間と賃金を再配分することで、高齢者の雇用を吸収するべきでしょう。

(6) 年金を全額国庫負担とし単年度会計とするべき

 現役世代が、市場経済をリタイアした高齢者の生活費を負担するという義務と、高齢者の生存権は、国が補償するという権利をまず確立するべきです。

 そして、この権利と義務の相関関係を基軸に、年金は、国庫負担とし単年度会計とするのです。その上で、支給する年金の現役世代の負担を軽減する各政策・制度が必要となるでしょう。

▼ 年金制度の抜本的な枠組みを変える

@ 各種年金の一本化
A 生活給付としての基礎年金は、現役世代の収入に関係なく一律支給とする。
B 年金としての意味合いの強い退職金を、分割支給として年金の枠に組み込む。

 つまり、厚生年金、国民年金、退職年金などを一本化して、支給システムの簡素化を図ります。退職金に関しては、まず、一括支給から分割支給に切り替えることが必要です。その上で、公的年金や私的年金をあわせた高齢者の年金所得に上限を決めるのです。現役世代の収入格差を年金に持ち込むべきではありません。

 それは、現役世代の富の蓄積に対する意欲を阻害することになり、労働に対する意欲やモラルを阻害するからです。

▼ 給付する年金に、現物支給やサービスの対価を織り交ぜる。

 単年度会計で必要な年金の額を算定した上で、その負担率を組み込むのですが、ただお金を支給するのではなく、下記のような諸制度も必要でしょう。

T 持ち家のない高齢者には、公団などを積極的に提供する。
U 医療の分野では、地域ごとに高齢者医療の国庫負担額の枠を決めて、地域全体の医療費の軽減が、地域医療に関わってきた人々に配分されるようにして、予防医療の推進を図る
V 高齢者の社会参加を促進することで、現役世代の負担軽減を図る。

 特に高齢者医療は、治療よりも予防医療に重点を置いて、予防医療における成果を賃金に反映させるシステムが必要でしょう。常に、プライマリーバランスを念頭に置いた年金財政を組むべきであり、財政投融資とは切り離して考えなければいけません。

(7) 日本再生のキーワードは退職金だ

 雇用保険を支払わない公務員は、組織に逆らわない限りその身分を保障されます。しかし、終身雇用と年功序列を批判して、公務員に能力主義を求めるのは、官僚の権限を強めるだけではないでしょうか。なぜなら、利潤を求めない「公需」の経済社会では、能力主義は機能しないからです。それよりも、公務員の最大の既得権益は退職金であることを理解するべきでしょう。

 民間の退職金制度は、早期退職制度や契約社員への切り替えなどで、その負担の割合を軽減させていて、これが、本来向上を目的とするリストラが、人員整理と労働強化でしかない日本型リストラとなって社会問題化しているのです。これに対して、公務員は退職金を求めて終身雇用を維持しているのであり、なにより、官僚らの天下りや、一般公務員の再就職は、この退職金を求める行動なのです。

 民間ではすでに崩壊しつつある退職金制度を、公務員は既得権益として主張し維持しているのであり、「みんなで渡れば怖くない不作為」とばかりに責任転嫁と責任の先送りを繰り返しています。特殊法人問題も、公務員の不作為を支える無責任も、その元凶はすべて退職金にあるのです。そしてこの問題に対して、公務員の行動を「規制」という対処療法では無駄であることに気が付くべきでしょう。なぜなら、その規制を考えるのが、官僚であり公務員であり、それを行使するのも官僚であり公務員だからです。

 そうではなく、カラスが生ゴミを荒らす問題のように、カラスを駆除するのではなく、エサである生ゴミを管理するべきなのであり、公務員に対しても、彼らの犯罪のエサなる退職金をなくせばいいのではないでしょうか。エサである退職金がなくなれば、不作為という無責任にしがみつくこともなくなり、次世代の日本を担う若者が、非生産的な公務員という職業に殺到することもなくなるはずです。

 本来退職金は年金を補完するものであり、これらは各種年金と一本化するべきです。具体的には、まず、退職員の支払いを分割支給とし、次の段階として、退職金を年金制度に組み込み、各種年金支給額の合計に上限を定めるというものです。だいたい、現在の年金制度は、現役時代の収入をもとにしてその割合を論じていますが、退職後の経済格差は、蓄財で求めるべきであり、生存権を保障する年金制度に経済格差があるのは決定的におかしいのです。

  公務員の天下りや再就職を支えるのも退職金であり、公務員の不作為という無責任を支えるのは退職金です。公務員の天下りや無責任は、日本社会からモラルと活力を奪っていて、それが日本経済混迷の原因なのです。これに対処するには、害虫を駆除するのではなく、害虫のエサを絶つことが重要であることと同じように、そのエサである退職金に抜本的なメスを入れなければなりません。

第一章 原理資本主義

第二章 時代が加速している21世紀

第三章 ベルリンの壁の崩壊から学ぶ経済のあり方

第四章 日本経済を考える

第五章 日本経済の迷走の原因は「企業の再生」にある

第六章 新日本列島改造論

第七章 担保主義に代わる金融システムの提言

第八章 経済の元凶である退職金と年金制度

第九章 政権交代の主役は国民である

第十章 永田町に競争主義の導入を

第十一章 政策提言

第十ニ章 CDS債が核のボタンであるという意味

著者からのメッセージ

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