第三章 ベルリンの壁の崩壊から学ぶ経済のあり方

(1) 南北問題と反グローバリズム
 
 革命とは「支配者階級が握っていた国家権力を被支配者階級が奪い取って、政治や経済の社会構造を根本的に覆す変革」または、「既成の制度や価値を根本的に変革すること」です。前者は、フランス革命や、ロシア革命、最近ではイランのイスラム革命などがあります。後者の「既成の制度や価値を根本的に変革する」革命では、一番に思い当たるのは産業革命でしょう。

 産業革命で、人は牛馬ではなく蒸気という動力を手に入れることで、資本主義が始まり、国家間の圧倒的な経済格差を生んでいきました。これは、「北半球を主とする先進工業国と、低緯度地帯および南半球にある発展途上国との貧富の格差がもたらす政治的・経済的諸問題」の南北問題として、植民地の時代を経て、1900年初頭まで続きました。この南北問題は、資本主義と社会主義の対立である東西問題と絡み合って、微妙なバランスを保っていましたが、ソビエトの崩壊と、カジノ資本主義の台頭で、あたらしい枠組みが生まれました。

 自由経済の名のもとに、金融市場によるキャピタルゲインを求めるカジノ資本主義経済です。アメリカは、アジアや中国の産業の発達を容認し、自国の産業の空洞化が起きても、金融市場でのキャピタルゲインが国民所得を押し上げ、消費力を保っています。アメリカが世界経済の消費を支えているという構図は、世界各国の産業の利潤を吸い上げるシステムの上に成立しているのです。

 資本の調達システムとしての株式の制度は、本来の役目を、エンジェルファンドにゆずり、そのエンジェルファンドも、株式市場でのキャピタルゲインを求めています。資本の調達システムの目的をはずれ、キャピタルゲインを求める株式市場は、資本の寡占化を推し進め、資本は国境を越えて経済を支配していきます。この株式市場による金融システムは、中央集権的な経済システムであることを理解することが必要です。

 このカジノ資本主義経済は、世界の工業力の均衡化を推し進めながらも、資本(石油・土地・資本)を持つものはさらに富んで、資本を持たざるものは、この経済システムに隷属されていきます。現在は、国家間の経済格差というよりも、ウォール街を中心とする株式市場というカジノに参加する者と、しない者との経済格差が問題ではないでしょうか。

 それは企業を含んでの話であり、そこに参加する企業の資本は、寡占化を推し進め、新しい資本の投下は、限定した資本家の管理下に置かれます。この資本の寡占化を、カジノである株式市場は、勝手にルールを作り、世界経済の安定という名のもとに保護政策に入るのです。

アメリカは、自由経済を謳いながら、現実は統制経済に入っています。経済格差は固定化して、アメリカという国の中でも、欧州、そして、日本でも、所得の格差は広がっていて、この対立が、反グローバリズムを生んでいるのです。

(2) 崩壊した社会主義経済は反面教師
 
経済とは、労働という行為を、商品やサービスに変えて消費する過程であり、その中で営まれる社会的諸関係をいいます。資本主義は、資本を投じて、商品やサービスを生み出す環境を整え消費による利潤を求めます。この資本を個人で投じるのが、いわゆる、資本家という人々です。

これに対して、社会主義とは、その資本を投じて作られた商品やサービスを生み出す環境=固定資本を国家の所有としました。そして、生産手段および財産の共有・共同管理、計画的な生産と平等な分配を目指しました。

 ご存知のように、ベルリンの壁の崩壊で社会主義は否定されました。これが意味するものは、資本家と労働者の対立を否定した社会主義は、社会資本を中央集権で管理する官僚が、資本家に取って代わっただけだったのです。そして、統制経済の矛盾と、それを制御する官僚と市民の階層化は、経済的な格差と貧困、そしてなによりも民主主義と対立したのです。

 社会主義では、計画経済による経済を目指し、資本の投入も決められた生産能力に基づいて国が決定しました。結果、人々は投入される資本や固定資本の「利権」を求めることを経済と思い込みます。それは、既得権益となり固定化していきました。社会主義経済では、消費や利潤ではなく、既得権益を求めたため、経済は破綻して社会主義国家は内部崩壊したのです。

 既得権益の横行する経済には、機会の平等はなく経済の活力とモラルは後退します。生活を向上させるための労働意欲は、既得権益で決まる社会では減衰するばかりで、労働市場での競争原理は働きません。社会主義経済は、経済の原理原則を見失い、経済と思想を混在してしまったところに大きな落とし穴がありました。利潤を求めずに利権を求める行為が、不平等な社会を作り出すのであり、それが既得権益化して固定化していき、階級社会を構成していったのです。

経済は、消費を求める社会の営みであり、利潤を追求する力は社会の活力です。利潤を求めず利権を求める社会では、経済は停滞し国力は落ち、そして、民主主義は封印されるのです。

(3) 既得権益を制御できない社会は崩壊する
 
 問題は統制経済で生まれる既得権益です。既得権益は経済法則では除外できません。既得権益は権力であり、この権力を制御するのが政治となります。権力が制御できず、権力の交代ができない国家は独裁国家であり、経済の発展は望めません。また資本家と労働者の階層間移動が、権力や企業の世襲制などで硬直した社会は、経済も硬直し、その既得権益は、民主主義と対立します。
 自由経済が発達すると、産業別にカルテルが生まれ、トラスト、コンツェルンと資本の寡占化が進みます。これを制御するのが政治であり、これらの経済運動を、法律により寡占化する資本を制御しようとして、経済学が発達しました。

 それでも、資本主義経済は、好景気と不景気を繰り返し、その度に、資本の寡占化と解体が繰り返されてきました。これは、既得権益が寡占化しまた解体することとも連動していました。そして、既得権益の声が政治で反映され、その声を後押しするのも、制御するのも政治なのです。好景気のときには、資本の寡占化は既得権益を生み出し、不況時の倒産などの、資本の解体の時には、既得権益が政治力でそれを阻止する。この経済運動と政治を絡み合せるのが民主主義なのです。

 崩壊したソビエトを中心とする社会主義国は、既得権益が経済の活力とモラルを失わせ、経済は混迷し国民の貧困は増していきましたが、社会主義経済では資本の解体は想定しておらず、市場経済を導入しようとしたゴルバチョフのペレストロイカは、その矛盾を鮮明にしていきます。結果、経済の困窮とソビエト共産党の既得権益層への反発は、ベルリンの壁を崩壊させました。

 資本主義経済の国家では、統制経済と自由経済を、交互に繰り返していて、これが、いわゆる「景気の波」といわれ、好景気のときは、資本の寡占化が進み、不況のときは倒産等で資本が解体されます。

この時に、抑制と均衡が保たれている民主主義社会では、既得権益は制御されますが、抑制と均衡が保たれていない社会では、既得権益が暴走して資本の解体は阻止され資本主義は否定されます。資本主義が否定された国家は、すでに独裁国家となっていて、民主主義も存在しません。このように考えると、資本主義と民主主義は同体であると考えていいでしょう。

経済とは、貨幣経済である限り資本主義しか存在しえないのであり、資本主義の形態の差で統制経済だったり自由経済だったりするのです。そして、統制経済から自由経済の転換期には、民主主義が既得権益を制御することが必要であり、この時に既得権益が制御できない国家は、民主主義が否定され経済も破綻するのです。

(4) 社会資本の充実と健全さを求める国家
 
 まず、社会資本と民間資本を区別し、それぞれに自由経済の論理を当てはめます。民間企業でも、資本と経営は分離するべきもので、社会資本もしかりです。国益を投じて営々と築いた社会資本を、経営上の問題で、資本を民間に投げ売りするべきではないでしょう。そうではなく、自由経済における競争原理に基づく経営に切り替えることが重要で、これが民営化するという意味です。

 高速道路をはじめ、住宅公団でも、運営管理能力がないから、いつまでたっても償還ができないのであって、特定財源の考え自体は間違ってはいないと思います。特定財源は利権の温床であり、解体しなければいけませんが、社会資本である高速道路を管理する日本道路公団を民間に渡すのは、不公平になります。特定財源で作られた道路は、国民のものであり、民間に移譲することはできません。

 そうではなくて、電力、通信、水事業、道路などの社会資本の定義を設定し、社会資本はあくまで国の所有とし、その運営管理を民間に任せるようにするべきでしょう。所有権者として、国や国民が、そこから出る利潤を求め、その運営を監視するべきでしょう。

 通信インフラでいえば、電波を社会資本とするならば、電波を送信する側が、送信することで利潤を上げるとするならば、彼らは、電波の使用料を当然支払うべきではないでしょうか。なぜなら受信する権利は国民に平等に与えられていますが、送信する権利は、国民の極一部の人間に限定されているからです。

 電波を社会資本とすると、送信する側と受信する側が対等の立場ではないことは、資本主義経済では不公平なことになるでしょう。社会資本が国家のものであるならば、それを利用して利潤を上げる者は、その資本形成に参加しなくてはなりません。

 私は、高速道路や鉄道の交通インフラや、電話やテレビ、そしてインターネットの通信インフラは社会資本であると思います。そしてその社会資本を利用して付加価値をつけ収入を得る企業や個人は、その社会資本の形成に参加するべきであると考えます。その参加形態は、利用料をとるのか、課税にするのかはわかりませんが、社会資本を利用する経済形態を考えることが必要だと考えます。

 社会資本と民間資本を区別し、それぞれに自由経済の論理を当てはめる。民間企業でも、資本と経営は分離するべきもので、社会資本もしかりです。国益を投じて営々と築いた社会を、経営上の問題で民間に投げ売りするべきではありません。そうではなく、自由経済における競争原理に基づく経営に切り替えることが重要で、これが民営化する意味となります。

 そして、社会資本の株主は、主権者のものであり、日本国では国民が株主です。従って配当は、公平に分けられるものでしょう。経済の発展は、社会資本の配当を上げていき、国民への還元も大きくなるような社会構造を目指すべきではないでしょうか。経済の発展は、社会資本を充実させ、そこから出る利潤は、国民の福祉を向上させます。社会資本の充実と健全さが、国力のバロメーターとなる社会を目指すべきでしょう。

(5) ルーズベルトとヒトラーのデフレの処方箋
 
 アメリカの経済史家ピーター・テミン氏は、1930年代の大恐慌時代、ルーズベルトのアメリカと、ヒトラーのドイツの、デフレの処方箋と、戦後の日本の不良債権の処理について以下のように書いています。
@ アメリカは消費が減ったから不況になったという過少消費説に基づき、ワグナー法やNIRA(全国産業復興法)によって労働者保護と、所得の分配率を変え、賃金の引き上げを通じて消費の活性化を図った。
A ナチスはすべての労働組合に解散を命じ、賃金を固定させた。強制的な労働奉仕制を導入し、軍事費を含む政府支出を増大させた。実質賃金は微増で、GDPに占める個人消費は急減したが、企業の利潤は増加し、民間投資は拡大した。
B 戦後の日本は、政府や国策会社等の、民間企業に対し巨額の未払債務と、在外の占領地や植民地における民間の請求権が敗戦によって突如放棄させられたことなどから、企業や金融機関に巨額の不良債権が発生した。政府は、金融機関の預金封鎖と新円切り替えを実施した。間髪を入れず、政府は、戦時補償の百パーセント切り捨てを実行した。そして、新たな事業を司る新勘定と戦時期の取引にかかる旧勘定とを完全分離して、企業には資産再評価益を損失処理の財源として認める一方、金融機関には資本の取り崩しを実行した後に、公的資金を注入した。

 この論評として、まず、ドイツは、低賃金を維持し、完全雇用に到達したが、その雇用の場を軍需に求め、ファシズムでドイツを第二次世界大戦へと向かわせた。そして、アメリカは、実質賃金を引き上げ、企業収益を圧迫し、失業率の高止まりと購買力の低迷をもたらし、大恐慌を長期化させたが、第二次世界大戦の軍需で、恐慌から抜け出したとしています。

 この論説は、日本の記述がありませんが、日本は、間違いなくドイツと同じ道を歩んだのだと思います。「欲しがりません勝つまでは」のスローガンは、低賃金で、強制的な労働奉仕制を導入し、その雇用を軍需に求め、戦争による消費を求めたのは日本もナチスと同じでした。

 私は、今の小泉内閣の支持率が、日本を戦前のファシズムへ導くなどというつもりは毛頭ありません。それよりも、デフレの処方箋で、雇用を柱に置くか、需要の創出を求めるかという政策の違いに興味があります。そして、ピーター・テミン氏は、経済政策としては、ドイツの完全雇用は政策的に成功としていて、アメリカの政策は、賃金を引き上げ、失業の長期化を招いたとしている点に注目したいのです。

 ナチスが、すべての労働組合に解散を命じたのは、日本の、既得権益層の温床となっている特殊法人の解体の方向と一致する側面があります。特殊法人を中心とする組織に従事する公務員や、関連企業の労働者は、既得権益を剥奪され、資本主義の荒波に放り出されます。また、年功序列と終身雇用の労使関係が、人材派遣法により規制緩和で、日本版レイオフが現実になり、従来の賃上げしか要求しない労働組合の時代は終わりました。

 また、今の日本の、労働力の供給が需要を上回っている現状は、情報技術で、さらにその差は拡大せざるをえず、現状を上回る消費の拡大は当面ありえません。日本人は、名目賃金にこだわらず、ワークシェアリングをして、実質賃金を求め、企業の体力の回復をまって、設備投資の機会を窺うべきです。

 戦前の日本やナチスは、雇用を軍需に求め悲劇的な結果をもたらしましたが、我々は、その雇用の場を、違うところへもっていかなくてはなりません。従来の公共事業投資は、現在では、割引現在価値のない投資(道路やダムなど)であることは明白で、また、官僚シンジケートの利権の温床となっています。そうではなくて、今我々が求めるニーズで、割引現在価値の高いものがあるはずです(たとえば、循環型社会の構築など)。

 「欲しがりません勝つまでは」ではなく、「名目賃金ではなく、実質賃金での生活を求め、日本の経済の立て直しを目指そう」のスローガンでいけばいいのではないでしょうか。そして、官僚シンジケートによる既得権益層の解体とその責任を追及し、日本人がモラルを取り戻せば、必ず日本は立ち直るでしょう。

第一章 原理資本主義

第二章 時代が加速している21世紀

第三章 ベルリンの壁の崩壊から学ぶ経済のあり方

第四章 日本経済を考える

第五章 日本経済の迷走の原因は「企業の再生」にある

第六章 新日本列島改造論

第七章 担保主義に代わる金融システムの提言

第八章 経済の元凶である退職金と年金制度

第九章 政権交代の主役は国民である

第十章 永田町に競争主義の導入を

第十一章 政策提言

第十ニ章 CDS債が核のボタンであるという意味

著者からのメッセージ

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