第七章 担保主義に代わる金融システムの提言

(1) 有限責任の成立しない日本は、資本主義経済ではない

 企業の会社形態は、経営側に無限責任を求める、合名会社と合資会社、そして、有限責任で運営される有限会社と株式会社というように4つに分類されています。

事業規模も小さく数人の構成員からなる合名や合資会社でも、有限会社にすることで、会社が債務を負っても、これを構成する構成員はその債務を負わないという法律関係の処理をすることが可能です。また、株式会社は、株式を発行して資金を集めます。株主は、後に会社が倒産すると、その株式取得に要した費用を全額損する可能性がありますが、株式会社がいくら債務超過になって倒産したとしても、株主がその債務について責任を負うことはありません。

もちろん社員にもその責任はありません。これは、民法で、権利を有するのは「人」と「法人」と定めていて、経済活動をする上での企業(法人)の権利と義務を明確に分けることで、人の財産権や生活権などを保障するとういう概念からきています。

 もし、このような有限責任の保障がなければ、事業の失敗のリスクが足枷となり、起業する人が少なくなり経済の活力は生まれないでしょう。また、株式に投資した人は、倒産などで、その株式取得に要した費用を全額損した上に、その会社の債務まで責任を負わされたら、とても株式投資などする気はなくなるでしょう。本来、銀行や株式は、事業のもとでとなる資金の調達手段であるのですから、このような社会では、資金が集まらず、経済の発展は望めません。

 しかし、日本の場合、有限会社や小規模の株式会社では、この有限の責任という基本原則がなく、事業者は、無限の責任を負わされています。というのは、日本での資金調達の手段は、間接金融である銀行からの借り入れが中心であり、銀行は融資の条件に経営者の個人保証を求めているからです。銀行は、融資したお金に見合う担保を求め、大抵は、経営者の個人資産がその担保として差し出されるのです。有限責任の成立しない日本の経済は、資本主義経済とはいえません。

(2) 代位弁済という詭弁を使う信用保証協会

 銀行などからお金を借り入れる場合、大抵、個人保証や第三者の保証人を求められます。企業が倒産したなどして、債務が発生したときに、保証人はその債務の返済を肩代わりしなければなりません。肩代わりした債務は求償権として残りますが、企業の責任は有限ですから、まず回収はできません。信用保証制度とは、公的機関である信用保証協会が保証人を引き受けるというものです。企業が倒産したなどの場合に、この信用保証協会が、返済を肩代わりする制度です。しかし、問題は、この返済方法が、代位弁済という制度であることです。

 これは、保険会社のように、不測の事態に会員から集めた資金の中から、契約した資金を出すというのではなく、あくまで代位で弁済するという意味で、肩代わりした債務は、信用保証協会の保証人に求償権を行使するというものなのです。つまり、通常の保証人は、債務というリスクを背負うのですが、信用保証協会の保障制度は、債務のリスクに利息をつけて、別の保証人に債務の責任を転嫁するものです。

 つまり、消費者金融が、債務の返済を肩代わりして、その債務に利息をつけて、自分達の保証人から取立てをするようなものなのです。もちろん、信用保証協会にも個人保証を求められますから、経営者の有限責任はここでも成立しています。

 日本は、有限会社法第17条で「社員の責任は本法に別段の規定ある場合を除くの外其の出資の金額を限度とする」と有限責任を謳っておきながら、経営者に無限責任を押し付けていて、しかも、政府の公的機関が、代位弁済を保証と偽って金融機関側のリスクを守っているのです。

(3) 金融政策のスタンスを明確にするべき

 銀行も信用保証協会も、貸し手側としてのリスクは一切取らず、収益である利息を取っています。民間の企業活動で、リスクのない仕事があるでしょうか。町のペンキ屋さんは、色塗りにムラがあれば、やり直した入り、手間賃を減らされたりするでしょう。企業の収益はリスクもその中に含まれているのです。

 また、直接金融である株式にしても、小規模事業者の場合、税制上のメリットを求めて株式会社の形態をとるのであり、株式を発行して資金を調達するということはほとんどありません。株式を発行するのは、株式市場に上場してキャピタルゲインを求めるのが目的であり、新しい事業の運営資金を調達するとかの本来の意味の株の発行はほとんどないのが現状です。日本経済では、資本の調達手段である金融システムは全く機能していません。だから、戦後の高度成長と日本製品の高品質を支えた、中小・零細企業者は減少していったのであり、新規の起業数も低迷しているのです。

 竹中平蔵金融財政担当大臣は、多機能高層都市プログラムによる情報産業への転換こそが日本経済再生の道だとして、コンサルティング業的な金融業が、都市型の労働集約型産業であるとしています。つまり、アメリカの金融市場で、勝ち組みとなれるような、金融業、コンサルティング業、ソフトウェア業が、21世紀を牽引する産業だといっています。最近になって、消費者金融以外の金融機関でも、無担保融資に取り組み出していますが、このような金融業界の流れの中で、地道に利息を収益とする金融業者が生まれてくるでしょうか。

 政府は、カジノ経済での金融市場に対応した金融産業を目指していて、この方向性と、本来の利息で稼いだり、直接金融としての株式投資をする金融機関の方向性は絶対に一致しません。政府の中小・零細企業への政策は、片手間の配慮となるのは目に見えています。

また、公需の産業の声を代弁する自民党は、過去10年の財政出動で膨張した建設・土木の産業の既得権益を維持することだけしか眼中にはありません。彼らのいう中小・零細企業とは、建設・土木産業の裾野を指していて、この産業の生産力調整が行われることは、彼ら自民党支持者を裏切る行為となるから、政府の構造改革に反対しているのです。彼らの主張には、国益というものが視野に入っておりません。

 野党第一党の民主党はというと、その支持基盤である労働組合は企業の存続を求めていて、供給側の企業淘汰には反対です。また、地方の組織では、公共事業などに頼る建設・土木などの既得権益に深く関わっている議員が多く、自民党と同じくしていて、彼らは、現行の既得権益者側の立場にいるのです。

 日本経済は、バブル崩壊後、貨幣および信用供給の収縮によって経済が落ち込みました。これに対して、政府は需要創出政策として、財政出動を繰り返してきましたが、この結果、公需によりかかる建設・土木などの生産力が供給過剰となったのです。デフレの原因を供給側の過剰にあるとすれば、建設・土木などの産業の企業淘汰を進めるべきであり、企業再生は必要ありません。また、現在の日本の産業構造では、需要に対して供給は過剰であり、新しい需要を牽引する産業の創出と育成が、新しい需要を生むのです。その為には、消費を喚起し起業を牽引することが、デフレ脱却の道しるべでしょう。

国会議員は、この新しい産業の創出を、官主導でするのか、民需での経済の活力とモラルに託すのかというスタンスの違いを明確にするべきです。その上で、前者であれば、従来の公共事業でいいかどうかという議論になるし、後者であれば、規制緩和や、起業の促進など、経済の活力とモラルの再生に新しい需要を期待するということになるでしょう。

そして、金融政策では、カジノである今の金融市場でキャピタルゲインを求める金融産業を育成するのか、それとも、内需の促進にデフレ脱却の道を求めるとすれば、規制緩和を中心に起業を促進する金融産業を育成する必要が出てきます。

(4) 事業のもとでとなる資本の調達手段

 規制緩和を中心に起業を促進する金融政策を求めるとするならば、銀行は、従来の担保主義ではなく、貸し手側の責任を明確にし、株式会社や有限会社の有限責任という資本主義の基本ルールを確立しなければなりません。つまり、事業のもとでとなる資本の調達手段としての金融制度を構築しなければならないのです。

 事業のもとでとなる資金の内訳は、設備投資など、固定資本を調達する資金と、原材料などの流動資本や人件費の費用など、運転資金を調達する資金に大別できます。従来の融資は、この設備投資資金と運転資金を一括で貸し出していて、そのあとの金融機関と企業の関係は、返済がされているのかされていないかであり、この構図では、銀行または金融機関は、貸し出し先の貸し倒れのリスクに対しては、なんら無策です。彼らの仕事は、返済が滞ったあとの、債権の回収が主業務となります。だから、担保や保証人が必要となるのであり、銀行は債権の掃除屋にしかすぎなかったのです。

 このようなバランスシートで経営状況を判断することのできない銀行に対して、事業のもとでとなる資本の調達機能を求めるのは無理があります。といって、大企業の再生だけに融資を集中するのであれば、経済の活力は生まれませんし、中小・零細企業の保護政策は、公需に関わる建設・土木の産業が対象となるばかりで日本型社会主義経済からの脱却はできません。

(5) 資本の調達手段としての金融システムを

 そこで、キャピタルゲインを求める金融市場と、本来の間接金融と直接金融である金融機関の役割分担を明確に分けて、後者の資本の調達手段としての金融システムを国営の銀行に求め、貸し倒れのリスクを回避するような金融システムを提言します。それは、貸し出し方法として、第一に、設備投資に関しては、ファイナンスリースを導入し、その所有を金融機関がもつということです。貸し倒れの時には、その設備を、再リースしたり、売却したりして債権を回収することで、リスクの軽減を図ります。

そして、本来の事業のもとでよなる金融機関のあり方として以下のような提案をします。第二は、運転資金は、毎月の貸し出しとする。決済時に、決めた運転資金を利用することで、その企業の経営内容を把握することで、貸し倒れのリスクの傷を深くしないようにするのです。

 貸し出し金融機関は郵便貯金などを原資とする国営銀行とし、金融機関と企業との間を取り持つ専任者を置きます。融資を判断するのは、金融機関ではなく、この専任者とし、国営銀行の貸し出し金利に、運用管理の専任者の手数料を載せた返済額を、企業が国営銀行に支払い、国営銀行は、運用管理専任者に手数料を支払うようにします。国営銀行は、運用専任者の回収実績に応じて、貸し出し限度額を増やしたり減らしたりすることで、不良債権の確率を減らすのです。

 また、一件あたりの貸し出し金額の上限を決めて、その上限を5000万円ぐらいにして、それ以上の貸出先は銀行に任せます。つまり、銀行の相手にしない中小零細企業を対象にする制度であることを明確にするのです。この運用管理者は、従来の金融機関の営業マンを歩合制にするものであり、運用実績に対する報酬と、結果責任を明確にする制度にすることが必要でしょう。

第一章 原理資本主義

第二章 時代が加速している21世紀

第三章 ベルリンの壁の崩壊から学ぶ経済のあり方

第四章 日本経済を考える

第五章 日本経済の迷走の原因は「企業の再生」にある

第六章 新日本列島改造論

第七章 担保主義に代わる金融システムの提言

第八章 経済の元凶である退職金と年金制度

第九章 政権交代の主役は国民である

第十章 永田町に競争主義の導入を

第十一章 政策提言

第十ニ章 CDS債が核のボタンであるという意味

著者からのメッセージ

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