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日ユ同祖論


1 ヤハウェは日本にいる

アヌンナキのアブラハムに性転換して男性を与えたヤハウェは、ニビル星の生命体とともに、南極の地下、つまりシャンバラ、アガルタに入ることは許されませんでした。ヤハウェは、アブラハムの子孫であるユダヤの氏族とともに、新天地を求めてユーラシア大陸を東へと移動します。

硫化水素の大気を必要とするヤハウェは、ユダヤ氏族と移動するときには、硫化水素が充満した籠にのって移動しました。神輿です。

硫化水素を発生させる壷と攪拌させる棒(杖)、そして銅の板が、三種の神器として伝承されています。籠の中の壷を揺らしながら移動しました。この風習は日本の至るところで祭りという行事で見られますし、温泉の「湯もみ」と呼ばれる伝統的な製法は火山列島の日本ではどこでも見られます。

ヤハウェは、紀元前700年頃から、神輿にゆられながらユダヤの民と東へと定住先を求めて移動したと思われます。アブラハムの寿命が終った紀元150年ごろ、ヤハウェの一行は朝鮮半島を経由して日本についたと思われます。

2 邪馬台国

奴国と呼ばれていたこの土地で大乱が起きます。この土地を支配していたアヌンナキと人間たちとヤハウェとユダヤの民が争ったと考えられます。この乱の後に、卑弥呼とよばれるシャーマンによって倭国と名を改めます。

「魏志倭人伝」によると、卑弥呼は邪馬台国に居住し、鬼道で衆を惑わしていたといいます。そして、卑弥呼は「既に年長大であったが夫を持たず(年已長大 無夫壻)、弟がいて彼女を助けていたとの伝承がある(有男弟佐治國)。王となってから後は、彼女を見た者は少なく(自爲王以來 少有見者)、ただ一人の男子だけが飲食を給仕するとともに、彼女のもとに出入りをしていた。宮室は楼観や城柵を厳しく設けていた(wikipediaより引用)」

この記述から卑弥呼はヤハウェに従うアヌンナキではなかったかと推察されます。アヌンナキは女性であり、人間は男性です。アヌンナキの卑弥呼は、ヤハウェの指示を仰いでいたのであり、この様子がシャーマンとして語り継がれていると考えられます。

また、アヌンナキの寿命は1000年と推察され、アブラハムの寿命が尽きたのは、紀元前200年頃とすると、卑弥呼は、男性の性をもつ第二世代と考えられます。「既に年長大」という表現は、卑弥呼の年齢は400歳位であり記述と一致します

邪馬台国とか卑弥呼という蔑視的な呼び名は、後世の歴史家から、ヤハウェとユダヤ氏族が忌み嫌われいたと推察されます。つまり、その後日本国の支配者層は、アブラハムの連れてきたユダヤ民族ではないことを意味しています。

3 大和朝廷の誕生と武士の登場

日本古来の社会は、女性の棟梁を中心に形成される社会で一妻多夫制の社会でした。

1世紀?ごろ、ユダヤのガド族が日本に渡来します。ガド族も女性の棟梁を中心とする一妻多夫制の社会でした。このガド族の棟梁のシャーマンとしての能力がずば抜けていて、彼女を慕う他の部族の棟梁が増えてきます。彼女が卑弥呼です。卑弥呼を中心とする部族の連合体が邪馬台国です。

卑弥呼と入れ替わりに、キリスト教徒(景教)の部族が日本に渡来します。彼らは、男性を棟梁とし、他の男性を支配していました。彼らがヤマトと呼ばれました。

ヤマトは、日本の部族を次々と武力で制圧し、卑弥呼が死んだあとに邪馬台国の棟梁となっていた物部氏の部族と戦い勝利します。邪馬台国は、大和と呼び名をかえます。そして、シャーマニズムではなく律と階級制度で部族を管理したので大和朝廷といわれるようになりました。

邪馬台国の大和朝廷の犬と呼ばれ、領地を与えられるかわりに朝廷に穀物などを献上し、さらに彼らの警備をさせました。彼らは、もののふと呼ばれ武士という階級となります。

武家では、女性の棟梁を中心部族が統率され、シャーマニズムによる治世が行われていました。彼ら武家の中で、京の都で、朝廷や貴族の警護をしていたのが、平氏と源氏です。

平氏と源氏も女性の棟梁のしたで統率されていましたが、平氏は男性である忠盛を棟梁とし、鳥羽上皇によって貴族の仲間入りをします。そして、男性の清盛が棟梁の時代に、保元の乱・平治の乱を制し、太政大臣に出世します。

清盛は、日宗貿易で得た財力で地位をあげて、謀略と武力で王家の頂点にたちますそして、日宗貿易の交易ルートとなる瀬戸内海を支配するために厳島神社を整備し、福原遍都を計画しますが朝廷の策略で頓挫します。

しかし、男系となった平家では、武士としての習練がおろそかになり、戦で戦う体力も技術の衰えていました。また、シャーマンが不在の軍隊の統率力は低く、これが、平家滅亡につながります。

女性を棟梁とした軍隊の方が強いなど、現代の常識では考えられないですが、棟梁や大将の腕力で戦の勝敗が決まるわけでもなく、むしろ、統率力や判断力、洞察力がリーダーに求められるのであり、女性の方が適任なのかもしれません。

以下、「真実の日本の歴史」にて記載