坂本龍馬考

馬韓戦争以降、長州藩は経済封鎖されます。しかし、薩摩の両班派閥は、武器商人にあるシーボルトの支援をうけて、土佐の坂本龍馬に亀山社中をつくらせて、薩摩藩で調達した武器弾薬を長州に運ばせる計画を立てます。

1864年5月に、軍艦奉行の勝海舟の建言により幕府の海軍士官養成機関である神戸海軍操練所が開港しますが、勝を通して坂本龍馬が入校。そして、龍馬は反幕府派を操練所に集めます。

1865年3月、反幕府の巣窟と化した海軍操練所は閉鎖されます。5月、龍馬は操練所の訓練生を連れて、長崎で亀山社中を設立します。亀山社中は薩摩藩がお膳立てしたものであり、薩摩藩が仕入れた武器弾薬を長州に運ぶために作られたダミーの商社です。

蛤御門の変以来、朝敵となった長州は厳しい経済封鎖を受けていたが、亀山社中が運ぶ武器弾薬で、長州軍は再軍備され、高杉晋作の騎兵隊や、1866年6月の第二次長州征伐)では坂本龍馬は海援隊を組織し、長州藩の軍艦ユニオン号を使って下関海戦に参加して長州軍を援護します。

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