事故の真相を解く鍵は、生存者の手記とコックピット内のボイスレコーダーにある。


123便墜落事件と特別秘密保護法案


特定秘密保護法の目的は、政治犯罪を隠匿することで政治家の無責任を合法化する法案である。この法案の原案は前政権の民主党内で策定された。

2009年9月政権交代を果たした民主党は、非核三原則を謳ってノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作が、米国に対して、日本国内に核の持ち込みを許可していた密約の案件を引き継いだ。

岡田克也を中心とした調査メンバーは、密約文書が、佐藤栄作の自宅から発見されたという事実にも関わらず、明文化した日米密約文書はないとしながら、日米合意のもとで核が持ち込まれていたことを認めた。

この日本人だけに通用する玉虫色の決着に米国側は理解できない。民主党政権の外交は失墜。民主党政権は、外交の信頼を担保する法案の策定を始めた。これが秘密保全法である。

2010年8月、日航機123便墜落事故の再調査を前原誠司を中心に行われる。これは2009年12月に、前原誠司を後援する京セラの稲森が日航の再建の責任者となったことと関係する。

稲森は、日航機123便墜落事故に政治犯罪が隠されいることに気が付き、前原誠司がこの事件に関心を持ち、遺族側の要求を受けたというのが真相である。

結果、前原誠司は、2011年7月に123便事故解説書を公開して、事故原因は後部圧力壁の損傷という結果を再主張する。

後部圧力隔壁の損傷は、生存者の証言で有り得ない話であるにも、前原誠司らは、従来の主張を繰り返した。

これは、密約文書が発見されたにも関わらず、明文化された密約文書は存在しないという、岡田克也の調査報告と同じで、論理の破綻は、誰の目にもあきらかである。

にも関わらず、嘘というかデタラメを押し通した。何を守ろうとしたのか、いや、誰を守ろうとしたのか、それとも、脅されたのか。2011年12月には、野田佳彦が秘密保全法を策定。つまり、この時点で、民主党政権が覗いた戦後の政治犯罪の蓋を閉じる法案の基本が策定されたのである。

佐藤栄作の密約は事実確認がされていて、この問題を政治犯罪とするかしないかは日本国民次第であるが、日航機123便の事故は、その凄惨さと冷酷な犯罪が世に出れば、国内外で自民党と政府の信用は失墜するのは必定と考えたのだろうか。

とにかく、野田佳彦の民主党は、戦後の2つの政治犯罪というパンドラの箱を一旦は開けときながら、自分たちの手で再度封印した。

野田佳彦らの見返りはなんだったのだろうか。とにもかくにも、政権交代が起きても、前政権の政治犯罪を追求させないルールをシステム化する秘密保全法を策定。そして、政権に返り咲いた安倍普三の政府は、秘密保全法を特定秘密保法として法案を提出し成立させた。

政権交代がおきても、過去の政治犯罪への調査をさせない。知り得た情報の漏洩をさせない。そして、秘密文書として非公開期限を60年とすること。

このように特定秘密保護法案が策定された経緯を知れば、この法案の弱点がわかる。そう、日本航空123便墜落事故の事故原因である。事故原因が後部圧力壁ではないことは、世界の航空関係者が知っている。事故の生存者の証言でも機内の圧力は下がっていないのだ。

しかし、重要なポイントは、中曽根政権がこの事故を死人に口無しとばかりに、人命救助をしないばかりか生存者を殺害したことである。これを問題とさせないために、事故原因の究明に遺族や関係者の目を向けさていることに気がつかなかればならない。

日航機123便墜落事故は、航空機事故というよりも、証拠隠滅のための殺戮という事件であり、国際刑事裁判が審査する事案であるのだ。

日本側が主張する後部圧力壁の損壊を事故原因とするために、当時の中曽根政権は、外交ルートを通して、ボーイング社と後部圧力隔壁を事故原因とする口裏合わせを要請しているはずだ。この外交文書が、米国の公文書の公開で明らかになれば、国際刑事裁判所も動かざるをえなくなるだろう。

日航123便墜落事故の政治犯罪の首謀者である中曽根康弘は存命中である。かれは、この事件の真相を墓場まで持っていくと公言している。この法案を成立をほくそ笑んでいるのは中曽根康弘なのだ。

このように考えていくと、日航123便墜落事故の事故原因の嘘の証拠となる外交文書が見つければ、この法案の経緯も知られるであろうし、廃案にする道も開かれるはずだ。

しかし、法案成立した現在、日航123便墜落事故を調査をした者は逮捕されてしまう。この政治犯罪を証明するのは、特定秘密保護法が適用されない日本国外の日本国籍以外の人たちに託すしかない。