石油本位制

1 帝国主義と覇権主義の違い
2 ドル本位制から石油本位制へ
3 戦争と経済から考えるアメリカの経済戦略
4 時代が加速している21世紀
5 喜劇と狂言が支配する日本の政治・経済

1 帝国主義と覇権主義の違い

「帝国主義」とは、資本の集積と独占体制が整った国家が、植民地政策によって、軍事力で資源と労働力を確保し、戦争による消費をもとめる行動をいう。「覇権主義」とは、経済運動による資本の集積と資本の独占体制によって他国の経済を支配することをいう。

 帝国主義の衝突であった第一次世界大戦後、変動相場制の欧州と、金本位制のアメリカが引き起こした貿易保護主義は、第二次世界大戦を引き起こした。資本主義経済の成長が、帝国主義を超え、貿易保護主義を否定した結果が、この二つの大戦を生み出した。

 第二次世界大戦後の世界は、社会主義と資本主義のイデオロギーの対立となるが、資本主義陣営では、ニクソンショックを契機に、金本位制からドル本位制が確立され、資本が国境を越えるグローバリズム経済となり、資本の集積と資本の独占体制によって他国の経済を支配する覇権主義の時代に入る。

 1989年、統制経済が利権を制御できず、また、既得権益を軸とした階級社会が民主主義を否定したため、社会主義は自己崩壊した。ベルリンの壁の崩壊である。東西の冷戦構造が壊れ、資本主義社会でのアメリカの一人勝ちを恐れる欧州は、ユーロ構想を立ち上げ、アメリカのドル本位制に対抗した。

 一方、アメリカは、1985年のプラザ合意で、日本のドル還流システムを構築していて、これに株を打ち出の小槌としたカジノ経済をアジア各国に押しつけた。これは、アジアの旧社会主義国に資本を投下することで、アメリカ企業の資本の集積と独占を拡大し、アジアの輸出をアメリカが一手に引き受けることで、消費大国としてのアメリカを確立するものである。そして、この消費の原資となったのが、実態経済とは乖離した金融市場経済であり、カジノ経済といわれるものである。

 このカジノ経済によるバブルで、冷戦時代の双子の赤字を一気に解消したが、ゲームの盲点をついたヘッジファンドのカラ売りは、1997年に、東南アジアに金融危機を引き起こし、カジノ経済の危険性を露呈し、金融市場は、政府による統制経済の側面が強くなっていく。

 なんとか金融危機の連鎖を食い止めたアメリカは、グローバル経済の名のもと、電気・水道などの他国の社会資本を経済支配することを目論んだ。いわゆる民営化だ。民営化とは、社会資本の民営化によるアメリカ企業による経済支配を意味するのだ。しかし、幸か不幸か、2001年のエンロンの倒産で、その計画は頓挫する。

 2001年、ユーロが登場し、世界はブロック経済の時代にはいる。これに対して、覇権主義の負の遺産を抱えるアメリカは、圧倒的な軍事力を背景に、石油の支配権をにぎり、ドル本位制を維持しようとしている。この布石がアフガニスタンであり、本命は、イラク・イランである。アメリカは、覇権主義の行き詰まりから、帝国主義に逆戻りしたのである。

2 ドル本位制から石油本位制へ

 2002年1月、ヨーロッパの12カ国が新しい単一通貨を採用するユーロが始まった。基軸通貨であるドルに対抗する通貨である。ユーロがスタートしてから為替市場ではドル安ユーロ高が続いている。これに対して、円など他の通貨に対してはあまり変化していない。ユーロとドルだけが、ある基準で高くなったり安くなったりしているのである。

 これは、カスピ海の石油資源を中心に、石油取引の決済をユーロでも認めるようになったからで、世界の産油国がドル建てからユーロ建てに代えるようになったからである。また、これに連動して、鉱物資源のユーロ建てもすすみ、ドル安ユーロ高の影響で、原材料費の価格が上がっているのである。つまり、原材料に鉱物性燃料を加えた原燃料が為替の基準となったのである。これは、かつての金本位制の金が石油にかわる、いわゆる石油本位制である。そして、石油本位制の登場は、カジノ資本主義と覇権主義の終焉を意味する。

 通貨供給量は、金本位制だった1949年から69年まで20年間に約1.5倍にしかならなかったが、1971年のニクソン・ショック以降のドル本位制による変動相場制の1969年から現在までの30年あまりの間に20倍になった。これにたいして、資本の調達手段である株式に至っては,1975年には GDPの2%だった株の売買高が、2002年にはGDPの106%にも達したにも関わらず、新規公開株のために売られた株は、株式取引額のわずか1%しかない。

 つまり、20倍にも膨れ上がったドルのほとんどは、株式などの金融市場に流れ込んだのであり、金融市場と実体経済は乖離し、それは経済格差をもたらし、絶望的な貧困層を生み出した。この経済格差の対極にいる貧困層の階級闘争が、アメリカのいうテロである。

 経済格差というカジノ資本主義の歪みが集中している地域に、為替の基準となる石油があるという背景が、今の世界情勢を混乱させているのである。

3 戦争と経済から考えるアメリカの経済戦略

 第二次大戦後、ニクソンショックを契機に、変動相場制による金融市場経済の形成したアメリカは、ベルリンの壁の崩壊以降、自由経済と規制緩和、そして民営化をキーワードに、社会資本を経済的に支配する経済的植民地政策を進める。

 一方、アメリカは、株式や特許などの知的財産、そして不動産などのバブルを誘発し資金をウォール街に集中させた。そして、アジアからの輸入を一手に引き受け消費大国としての地位を固めるとともに、ドル本位制によるドルの還流システムでアジア各国で売った米国債を、軍需産業を中心とするアメリカの内需(公需)に振り向けることで実体経済を支える。

 1997年の通貨危機で露呈した金融市場経済の矛盾は、カジノ資本主義の限界を示す一方、エンロンの倒産で、社会資本を経済的に支配する経済植民地政策を行き詰まらせた。この状況で、ネオコン(新保守主義)が台頭してくる。彼等は、カジノ資本主義からの脱却を、アメリカの圧倒的な軍事力を活用することで乗り切ろうとしていて、その基本となる経済政策は保護貿易主義だ。

 彼等の政策は、石油エネルギーの力による支配と、軍需産業を基軸とする内需拡大政策。そして、アメリカの4倍の人口をもつ中国に、消費大国の役割を押し付けて、アメリカの貿易保護主義による貿易黒字で、肥大した米国債務を解消するという政策転換だ。

 現状では、ユーロ高で、アメリカが担ってきた消費を欧州に負担させつつ、ドル安で、インフレを誘導し、輸出を増やす保護貿易主義を支える。そして、アジア諸国の通貨を加重平均した「アジア通貨バスケット」を構築を認めつつ、軍事力でドルの暴落を抑え、アメリカの貿易黒字でアジア各国の米国債を相殺させるつもりだろう。

 このように考えると、円高を阻止する日本の過激なドル買いも、「アジア通貨バスケット」に有利に参加するために円相場を維持するとしているのであれば、日本政府の行動も一理ある。

4 時代が加速している21世紀

 カジノ経済における覇権主義から、石油本位制における帝国主義に走るブッシュのアメリカと、石油本位制による為替市場をめざすEUは、政治・経済的には対立しているが、この両者が軍事衝突とならないのは、アメリカのカジノ資本主義に対して、この対極にいる絶対的な貧困層の階級闘争と、民族主義の衝突が同時に起きていて、これらが、一緒くたにテロと呼ばれて、反民主主義と定義されているからである。

 本来、宗教の影響が少ない日本は、カジノ経済における覇権主義から、石油本位制における帝国主義に走るブッシュのアメリカと、石油本位制による為替市場をめざすEUに、経済格差の対極にいる貧困層のイスラム教徒の階級闘争と、欧州の民族主義が複雑に絡み合っている現状を冷静に見られる位置にいる。

 21世紀の現代は、原燃料、とりわけ、石油本位制といわれる変動相場制の時代となりつつあり、だからアメリカは、、カジノという経済ゲームを競う覇権主義から、資源をもとめる帝国主義に逆戻りしているのである。帝国主義の衝突である第一次世界大戦。そして、帝国主義が飽和状態となり、保護貿易主義の衝突となった第二次世界大戦。資本主義経済が、好景気と不景気を繰り返し、統制経済と自由経済を繰り返すのとおなじように、戦争も繰り返される。

 テロだとか大義だとか関係ない。経済が戦争を引き起こすのだ。未来は歴史から学ばなければならず、歴史のスピードが加速している現代は、歴史学者の登場をまたず歴史を検証しなければならない。現代の政治は、他人の知識を披露しあうのではなく、現状をきちんと把握し、問題点と原因を特定して、それを解決することを政治とするべきであり、その基本は経済である。

5 喜劇と狂言が支配する日本の政治・経済

 覇権主義から帝国主義へ舵をきるブッシュ保護貿易主義は、かつてジョージ・H・W・ブッシュが大統領を争ったレーガンの経済政策であり、呪術を意味するカリブ海の島国ハイチなどで信仰されている「ブードゥー教」をなぞって、ブードゥー的だと批判した経済政策だ。息子のジョージ・W・ブッシュは、このことを知っているのだろうか。

 また、第二次世界大戦を引き起こしたのも、貿易保護主義の衝突であったことを考えると、かつての軍事大国のヒトラー率いるドイツが、ブッシュのアメリカと重ね合わさる。

 日本が抱える問題は、アメリカ・イギリスの陣営につくのは、かつて、ドイツ・イタリアと手を組んだ第二次世界大戦の時と同じであるということだ。小泉内閣はアメリカにつくことが、世界から孤立しない道だというが、孤立しているのはアメリカである。第二次大戦を教訓にするのならば、ここはあくまで中立であるべきではないのか。ブッシュに頭を下げつつも、イスラム諸国に銃を向けてはならない。

 また経済的には、竹中平蔵を筆頭に、日本のエコノミストが、アメリカ経済の後追いをしているということだ。竹中平蔵は、アメリカが見切りをつけている金融市場経済を軸に、経済の再生を進めているし、政府の「民営化」という言葉が、アメリカが他国の社会資本の支配権を得るためのキーワードであることに、霞ヶ関と永田町の連中は誰も気がつかない。そして、ドル本位制から石油本位制に変わったことを認識しなければならない。

 問題は、政治家もエコノミストも、帝国主義と覇権主義の違い、資本主義とカジノ資本主義の違いが、欧米の教科書に載らない以上、ずっと現状が見えないということであり、この絶望的な状況は、悲劇を通り越して喜劇として世界が見ているのである。

 さらにこの状況をもたらした根本原因は、戦後のGHQが日本人に押し付けた家畜化教育であり、与えられた餌(知識)以外は受け付けないという偏食をもたらし、知識が脂肪となったブタである日本人の、思考力と論理力が停止していることである。

 このようなブタが支配する大人社会が、歪んだ社会となるのは当然といえば当然であり、歪んだブタ社会の背中をみて育った子供たちの歪んだ行動を、ブタどもが批判するのは狂言の世界である。政治・経済に喜劇や狂言を持ち込んではいけない。ブタのする喜劇や狂言は、芸能の域を飛び越えて「暴力」の世界でしかないからだ。 

 日本は、カジノ資本主義であるアメリカ経済の後追いをするべきではなく、アメリカの金融市場経済を教科書とする竹中平蔵の経済政策はナンセンスである。

2004/03/19