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かごめの歌が意味するものは?


かごめかごめ

籠の中の鳥は いついつ出やる
 
夜明けの晩に 鶴と亀が滑った

後ろの正面だあれ?


「鬼は目を隠して中央に座り、その周りを他の子が輪になって歌を歌いながら回る。歌が終わった時に鬼は自分の真後ろ(つまり後ろの正面)に誰がいるのかを当てる。(wikipediから引用。)

このわらべ歌の解釈は、徳川幕府の埋蔵金や、日ユ同祖論に絡めたりと様々で、都市伝説となっている。たしかに、意味深な歌詞である。

私はこのかごめの歌を、直訳的に解釈してみた。

① 籠目とは、竹などで編んだ籠の網の目が連続した格子状の編組で、この文様の籠目の一部を切り取った家紋が「籠目紋」。 この星型六角形は、ユダヤ民族を象徴するしるしダビデの星、すなわち六芒星(ヘキサグラム)。 従って、籠目の中とは、日ユ同祖論で証明される場所、もしくは建造物を指す。つまり、この場所に於いて、人々が救済を求めていることを示している


② 鳥とは日本神話に登場する太陽の化身とされる八咫烏。八咫烏に導かれて、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 高皇産霊神(たかむすびのかみ)神皇産霊神(かみむすびのかみ)が降臨し人々を救済するのだが、「いついつ出やる」というのだから八咫烏は現われていない。

③ 「鶴と亀が滑った」とは、命を象徴である亀と福の象徴である鶴が滑ったのだから、環境の突然の変動・破局=カタストロフィ【catastrophe】を指し、夜明けの晩とは、絶望的な不幸な社会の終焉が近いとき、つまり、回復の兆しが見えてきた時に、鶴と亀が滑るのだから、文明の終末を意味する。

④ 「後の正面」とは、神に問いかけている者の真後ろ。つまり、神棚を南に向けて安置している神社にお参りしている人の後。つまり南の方角に出現するものということ。ちなみにキリスト教徒の秦氏の八幡神社や田布施村の守護者である靖国神社は、東側に神棚を向けていて該当しない。

人々が、破局的な状況において神にお祈りしている状況で、決定的な破局=カタストロフィ【catastrophe】が起きるが、八咫烏は表れず、天地開闢に関わった別天津神は降臨しない。

後の正面を見れる人々は生き残った人間である。後の正面に現われるものが、この破局を創造した者である。つまり、南か南東方向に現れるものは、破局を創造したもの。破局をもたらしたものということになる。


この、かごめ歌が問いかける「後ろの正面」が、3600年の周期で太陽の周りを公転している惑星ニビルと解釈した。

直近で南極にピラミッドが出現したというが、標高の高い南極のピラミッドとニビルが、量子もつれの現象で引き寄せられるように南半球に出現する。

ニビルの接近で天変地異が世界中で起き、それが収束しつつある時(夜明けの晩)に、破局的な状況が訪れる。そのときに、南方向にニビルが鎮座する。そして、それを見れるのは、人類の極一部の人間であるということだ。

ニビルは、表れただけでまた遠ざかるのか、または、シュメール人の言い伝えのように宇宙生命体が地球に現れるのか。それは、生き残った人々だけが知ることができる。

日本のわらべ歌であるかごめの歌が、予言であるのか、それとも手の込んだ冗談なのか、その答えは近い。

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